2011年5月25日水曜日

透過する思考に目を背け

このエントリーをブックマークに追加 このエントリーを含むはてなブックマーク
少し前の話だが、『マイレージ、マイライフ』という映画を見た。そこでのシーン、ジョージ・クルーニーと恋人の女性が船べりで交わした会話を久しぶりに思い出した。
二人はお互い出張先のホテルで知り合った。お互いのことは全く知らん状態からのスタート。それで親密になり船べりのシーン。主人公のジョージが講演の際に使うバックパックの中身が空だというネタの話をしている時、ああ、知ってるのかとジョージ苦笑い。女性の返しがこんな感じだった。
googleで調べたわ。大人の女のたしなみよ。
 のような。ちょっと驚いた。一夜限りの相手でも、本名とか知ってれば、簡単にリサーチ出来ちゃう。そのぐらい我々はログを残しまくっている。マジで??

関連して、実は先程、自分のメールアドレスを使ってtwitterの友達検索をかけてみた。出る出る、びっくりするぐらい皆やってる。同時に、「これは悪趣味なことをしてしまった」と思った。それで、一人だけフォローかけてみた。しばらく会っていないから近況知りたいという用途半分、twitterなら良いかという考え半分。この、後者の意識がちょっと危ないと自分で思っている。要約すると、監視社会にびびっている。
そうだ、私は、自分のログは様々なプラットフォームに分散して置いている、twitter,Facebook,Blogger,昔はmixiだってやってたし、すごく親しい人にはgoogle calenderの閲覧権限をばっちり与えている。ただ、知り合いが現実の方で親しくあればあるほど、見たくないのだ。これって異常なのかなぁと考える。

確かに、会う頻度が少ない知り合いの近況を知るには、最適なツールであると思う。だけど、週1、週3、4回会う人間とwebで繋がればそれだけに話の種は減る。もう二番煎じ当然みたいになる。ちょっとびっくりする。
昔の話だが、mixi日記には本音があった。赤裸々な心情告白があった。Facebookを使っている分には、そんなものはないが、繋がりが見える。
そういうwebに、どこまで情報を乗っけるか管理するのが、玉置沙由里さんが『女。MGの日記』で提唱している「露出リテラシー」なのですが。

なんだか話が見えなくなってきた。
総合すると、「Webとリアル」を「ステージと裏方(どっちがどっちでも関係ないが)」とばっちりすみ分けている人なら問題ないのですが、そうではない人が現れた時に、自分は興味を抱けるのだろうか??という話ですかねぇ。親しくなればなるほど、ブラックボックスを持っていて欲しい訳です。

「ログアウトしてくれねぇかな。それ」

0 件のコメント:

コメントを投稿