2011年6月11日土曜日

台湾旅行記1 台湾前夜 

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 大学の多くの講義の中で、あるいは新聞の中で、いかに日本の学生が「内向き(旅行や留学をせず、近場で生活すること)思考」で、「勉強しない」かということを毎週語られ、心底うるせえなと思っていたのが2010年の10月~2011年の3月(卒業まで)

そして、実際海外に行こうと決めたのが2011年の1月。
ちょうどその時は仙台の実家に帰省しており、地元の友達と夜通しの忘年会をしていた頃だ。時に私のほとんどの友達は就職活動真っ最中で、海外に行く予定であることを話したら、よくよく「留学目的」なのか、とか「向こうで就職する気で行くのか?」などと聞かれた。「そんな訳ねぇじゃん」とか冗談交じりに答えていたが、両者の共通点はどちらも、「商売気」むんむんで海外に行くということで、はっきり言ってそんな気は全くなかった。そんな余裕のない心境で海外に出て行っても、何一つ見えないのだと思っていた。

2011年の3月には大学をめでたく卒業し、何の制約もなくなったのでそれからは旅費を稼ぐことに専念した。そこから先、震災もあって、当初の目標から大幅にずれ4月の初旬に台湾行きを勝手に決め、5月までは誰にも計画を明かすことなく秘密裏に進めた。宿泊先と航空券だけ押さえて、あとはバッグ一つで旅をする。そんな予定だった。
ぽろっと父にこぼしてしまったのは5月のGW明けに、震災後の様子見がてら実家に戻ってきた時である。
「あ、そうそう、来月あたり台湾行くから、よろしく」などと事務連絡っぽく話した所、父は大層喜んで「そうかぁ、台湾に行くのか、ならBelindaを紹介するからぜひ会って来なさい」などと突然言われ、しこたま焼酎飲まされ、夜通し話し合うことになり、おまけに酔い潰された。

Belindaとそのご家族とは一度仙台で会ったことがある。それも小学4年生ぐらいの時、海外からお客さんが来ることは日常茶飯事だったので、あまり覚えていないが、ホテルのオレンジジュースがやたら美味しかったことを覚えている。

父の話を総括すると、父は台湾生まれの日本人(そんなことは初耳)で、Belindaは台湾の家族のようなものだ、ということだった。「縁ってあるもんだなぁ」とか思いながら相変わらず唐突な父の来歴を耳にし、驚きつつも、台湾の家族を実感出来ずに居た。元々我が家は母の実家は頻繁に行き来するが、父の家族には生まれてから一度も会ったことがないし、ありとあらゆる面で謎(突然外国人が泊まりに来たり、妙な所にコネがあるし)だったので、我ながら無理もねぇなと思っていた。
5月半ばに神奈川に帰り、残っていたTask(引越しの物件探し、mission code : OZEの会議)をこなし、往復の格安航空券とゲストハウスの予約を取り、海外用のmobile wifiルーターのレンタルをして、小さいバッグ二つで6月6日に羽田から台北の松山空港へ発った。様々な紆余曲折や想定外の出会いがあったのだが、私は非常に淡々として、行きの飛行機の中では毎週月曜の習慣であるフィードバックシートを書き、非常に冷静だった。

松山空港に着くまでは、だ。

つづく

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