2011年6月24日金曜日

台湾旅行記4 (6/8)-故宮博物院と淡水の夕焼け、台湾の家族との夕食-

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実質、台湾最後の日である。この日は台湾での出来事を全部(一人旅、台湾の家族との交流、バイク観光、ゲストハウスの人々との交流)を全部煮詰めたような日であった。
まず、朝起きてすぐに、Belindaのご家族と夕食を共にする約束をしていたので、その詳細を詰めるためにメール。もうこの頃になると英文メールを真面目に打つのは初めてだったが、翻訳ソフトを使いながら、上手く合流の予定を組んでゲストハウスを早くに出た。
まずは中山駅からMRTに乗って士林駅まで移動。士林は一日目に行った士林夜市があるところだが、こうしてMRTで来るのは初めてだ。士林駅を出てすぐのバス停に行き、運行時間などを確認し、コーヒーを飲みながら国立故宮博物院行きのバスを待った。今回の旅行の際、持って行ったガイドブックは役に立ったことはない(安物だし)が、バスの運行予定を調べたりするのには割と役に立った。分からない人は恐らく日本人や他国の人がバス停で同じように待っているので、その人たちが乗っていったバスに入れば、難なくたどり着けます。
国立故宮博物院の入り口。ここで写真撮影してる人がたくさん居たので一枚。
入り口のすぐ横で、何かの政治団体が抗議活動をしていた。詳しくはよく分からない。
バスの停留所近くの入り口から、メインの第一展覧エリアまでは、結構歩く。2枚目の写真に写る階段を上がった後、一本道が続き、また階段を上がる、そうしてようやくこの写真の広場に着く。第一展覧エリアはこの階段を上がった奥の建物である。
国立故宮博物院は、北京にあった紫禁城に貯蔵されていた中国歴代皇帝のコレクションが、戦禍を避けるために場所を転々とし、現在、ここ台北に設立され50年以上になるらしい。一生かけても見終わらないと言われています。館内はもちろん撮影厳禁なので、写真はないですが、玉とか、翡翠なんかを繊細に加工した芸術品や仏像がたくさんあります。ツアー客もたくさん来るし、台湾でははずせない名所ですね。

4時過ぎに国立故宮博物院を出て、バスで士林駅まで戻った後、MRTに乗って、次の目的地、淡水に向かう。ちなみに淡水行きのMRTは北投駅で一度乗り換えが必要だ、そのまんま淡水まで一本で行くと思っていると痛い目にあう(経験済み)のでご注意を。
淡水は夕日がすごく綺麗な、景観を楽しむ観光名所で、東方のヴェニスなんて呼ばれているらしい。台湾のデートスポットとしても有名で、川べりを歩いていると、恍惚としているカップルがたくさんいます。
 夕焼けの時刻よりちょっと早めに到着しました。駅からはバスが出ているようですが、それより何かちょっと食べておきたかったので近くの屋台街で色々買って、ぱくつきながら遊歩道を散歩。
遊歩道。ゴミ箱とベンチが等間隔で並んでおり、環境がよく整備されている。
渡し船乗り場、これもスマートカードがあれば乗れます。
景色が綺麗だったのと少し歩きたかったのもあってしばらく遊歩道を歩き、ベンチで休むを繰り返して、ついに絶景。
夕日が水面に映って、金色に染める。まさしく絶景です。この後私はこればっかり撮影してました。
釣りしてる人も居ます。地元の人でしょうね。ちなみに、淡水は遊歩道の途中にいくつか景観ポイントがあって、節約したい人は岸辺に腰掛けて、ちょっと出しても良い人はスターバックスに、思い切り出してしまいたい人はレストランに入るなどと、観光客およびカップルに対する設備万全でした。もう一度行きたい。

その後、5時過ぎに淡水を出て、Belindaとそのご家族と夕食を共にするために芝山駅へ、二人でデパートに入り、ちょっとした買い物と食事をしてから彼女の娘さん、昨日、観光に付き合ってくれた息子さんと夕食を共にした。息子さんに関しては『台湾旅行記2』で話したとおりだが、娘さんは中国語と日本語が少々と、フランス語が喋れるらしく、初めて会話した時、日本語だったのですごく驚いた。台湾で出会った現地の方は皆バイリンガルだ。(ちなみに私は大学で第2外国語がないので、日本語とくだけた英語のみ。なんてこった)
夕食を食べ終わって、2回目の全員そろっての記念撮影をした。2番目に低かった身長が今やトップタイ、少しは逞しくなったということだろうか。

Belindaと娘さんと別れ、私は息子さんと最後の台湾観光をした。台湾総督府は写真撮影できなかったので中正紀念堂で写真を撮ってもらった。
ちょっとぶれているが、夜の中正紀念堂はスケールがでかい。
少々強引にフラッシュたいたのでこんな感じ。
ちなみにフラッシュが上手く出来るまで何度も撮りなおしした。使いやすいカメラを持っておくのも、旅の教訓である。
その後、彼のバイクで宿まで送ってもらった。1月に彼の友達が日本に来るらしいので、その時はぜひもてなそうという話をたどたどしい英語でしながら、台湾最後の夜を駆け抜けた。

実は宿に帰った後にまたもう一つ出来事があるのだが、それは日をまたいでいるので、台湾旅行記5に続きます。

2011年6月19日日曜日

台湾旅行記3 (6/7)-一人旅堪能の九份、wifi断絶の恐怖-

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皆さん九份って知っているだろうか。自慢じゃないが僕は全く知らなかった。
ゲストハウスの皆さんが結構よく薦めてくれるのがこの九份で、どんな場所かというと、「千と千尋の神隠し」の舞台の元となった場所なのである。
2日目はこの九份をメインに観光した。まずはゲストハウスのある中山駅を出発して後で回ることになる忠孝新生駅をぶらつく。
駅を出てすぐの国立台北科技大学。台湾の工業大学の最高峰らしい。


なんだかスケールが違う。そしてモダンな建物。テクノロジー最前線みたいな大学の緑だらけのキャンパスが、本当に降りてすぐにあります。
その他、忠孝新生はいろいろあるわけですが、また来ることになるので最後にまた触れます。


一駅先の忠孝復興に着き、九份行きのバスを待った。忠孝復興から九份までは基隆汽車客運バスで一本。一時間ちょっとで行ける。バスの運賃は80元(日本円で220円強)。
台北では日本で言うpasmoのようなチャージ式プリペイドカードがセブンイレブンやファミリーマート(全家っていうんだよ!)で売られている。これを使えばMRTも路線バスもかざすだけで大抵乗れてしまうので、中国語の上手くない日本人には大助かりな代物である。(とはいえ日本語で対応してくれる運転手も多い)
実は忠孝復興に着いた際、ちょっとした失敗をしてしまった。チャージしようかと思って財布を覗くと、100元札がなかったので、ええい面倒だと言って1000元チャージしちゃったのだ。日本であれば、1万円チャージしてもすぐなくなるから当然4日間で使い切るだろう思っていたが、違う。MRTの運賃表を見てみれば分かるが、どんなに遠くても65元が最高なので、当然の如く、余る。このように、為替レートが分かっても物価が分からないで苦労することは結構あるのだ。この辺、「行って見ないと分からない事」の筆頭である。この後この話をBelindaや彼女の娘さんにしたが、まあ驚かれた。「交通費なら心配ないよ。1000元も入ってるから、どこだって行けるさ」なんつってました。
九份の屋台街。入り口からして薄暗く、肉と油の入り混じった匂いがぷんぷんする区域。ちなみにこれ、


山奥にあります。市街地じゃないです。ガイドブックによると、元々閉山した鉱山跡地だったのが映画のロケ地で使われて人が集まり、今や一大観光名所らしいです。もう一回行きたい。ちなみに僕はのどの渇きと暑さでそれどこじゃなく、ジュースをちゅるちゅる飲みながら散策してばっかりであんまり写真撮ってませんでした。


5時過ぎに忠孝復興の駅に戻り、昨夜、お世話になった友人に仕事が終わったぐらいに連絡してくれと言われていたので、45分ほど時間つぶしがてら忠孝復興をふらついた。今日はFacebookあるし、メッセージ送れば問題ないなと、正直安心しきっていたのだが、ここでWifiの電源が切れた。ネット繋がるスマートフォンあれば携帯電話借りる必要なしと思って甘く見ていた完全なミス。レンタルwifiルータは一日持たないんです。それからは公衆電話に行き、電話かけては留守電で途方に暮れて電話して小銭なくなって時間切れ、札を崩すためにコーヒー飲んでの繰り返し、テレホンカードの裏表を間違え、役立たず扱いしては小銭つかって電話かけてと無駄な行為を繰り返し、ようやくBelindaと会うことが出来ました。アナウンスで名前呼ばれてようやくたどり着けるという始末でした。全くお騒がせしました。


その後、芝山駅で夕食をご馳走になり、店内でPCを使わせてもらい、父にメール入れたり、日本から輸入して使っているコーヒーマシンの説明を受けたり、日本語学校の先生をしているというBelindaの知り合いと話をして、その後二人で忠孝新生へ向かった。


忠孝新生は日本で言うところの秋葉原(電気街)で、台湾で有名なAcer,ASUSから日本の富士通、東芝、SONY、あとApple、lenovo、msiなどのPCの販売店がずらっと立ち並ぶ地区である。Appleストアだけは別格に広かったが、それ以外のメーカーは縦長の店舗が一角にぎゅうぎゅう詰めに入っている形だ。ちょっと中を覗いてみたが、実に熱心に接客され、商品説明バリバリされて、すごく商売熱心に感じた(もちろん買う金はない)。


2日目はこのような流れで、ミスして大量チャージしてしまうわwifi切れて途方に暮れるわ、お騒がせだらけの1日になってしまった。最後にBelindaにGmailアドレスを交換して、翌日に備えてその日は早めに帰って就寝した。本当に、連絡手段を持っておくことは重要であると実感した1日でした。


続く。

2011年6月15日水曜日

台湾旅行記2 (6/6)-台湾で出来た家族、食文化に負けた夜-

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6月6日から9日まで、3泊4日の台北旅行に行った。
持ち物は着替えと身の回り品、そしてwifiルーターと日本からのお土産、合計鞄2つという軽装で羽田から飛行機に乗って松山空港に降り立った。

これが台湾に着いて初めて撮った一枚、宿泊先のゲストハウスがある台北の中山駅から旅は始まった。空港からちょっと出たところのコンビニで早速店員の兄ちゃんを困らせる出来事があったが、MRTの移動は思ったほど苦でもなく、10分少々で宿泊先のゲストハウスのある駅に着いた。


ゲストハウスに着いて早々、やったのがこれである。なにやら6月6日は地球の引力の関係で、卵が立ちやすい日なのだそうだ。チェックインしてすぐに、ゲストスタッフ総出で卵立て始めるのだから、なんのこっちゃと面食らった。その後ゲストの皆さんは皆でどっか出掛けてしまった。初対面同士ですぐ打ち解けてどっか行っちゃう。ゲストハウスの習慣というか雰囲気をここで初めて知った。
その後、私は父から紹介されていた台湾の知り合いと会うべく電話で連絡(この間、公衆電話で悪戦苦闘し、あげくスタッフの方から携帯借りてようやく連絡取れるなど、かなりの騒動があったりした)を取り、ゲストハウスまで来てくれるということなので、それまで泊まっていた他のゲストの人と雑談して、時間を潰していた。話した人はちょうど会社員の方で、仕事休んで来ているらしく、おすすめの観光地やスポットを教えてもらった。台湾に対する事前知識が少ない自分はほとんど話を聞いているだけだったが、皆すごく旅なれているなぁと思った。
なにしろ、航空券とゲストハウスの予約だけとって、ふらっと一人で来ました、のような人なんてざらなのだ。ちょっと気負っていた自分が馬鹿らしくなるくらいだとその時は思った。(旅行最終日には自分がそうなっているとも知らずに)

しばらく雑談した後、台湾の知り合いであるBelindaと再会した。早速ちまきやバナナを貰い、日本からのお土産を渡した。Belindaは非常に英語が堪能で、彼女と話しているときは100%英語だった。久しぶりに会う私にも非常に気さくに接してくれて非常に感謝している。
その後、彼女と一緒にMRTに乗って芝山駅のそごうで冷房を堪能し、そこで4日間の台湾旅行を先導してくれる郭滕憲と合流し鼎泰豊で昼食をごちそうになった。台湾の情報、家族の話など色々な話をして、我々の共通点である父の話をした。

そこから先が怒涛だった。昼食の後、Belindaと別れ、郭滕憲のバイクに乗せられ、温泉に行った。台湾の絶景で写真を撮った。どでかいチキンも食べたし、士林夜市にも行ったし、西門街も回った。随分あっさりと全部こなしたなぁと思うが、これ全部、ほぼ半日でやってのけたのだ。


台湾の絶景と私。郭滕憲はとてもナイスガイでたくましく、親切で、おまけにスペイン語が出来る(!!)人生経験豊富な人です。私が彼から貰った携帯落っことして紛失した際も気にすんなと言ってくれたり、器の大きい人です。おまけにバイク一つでどこでも行っちゃうすげえ行動力の持ち主でした。台湾で過ごしている時、非常にお世話になった、感謝感謝である。

たった一日で小籠包、ちまき、どでかいチキン、梅水(台湾の梅を使ったジュース、甘い)、牛肉麺、臭豆腐、エビとかカキ入りオムレツ、瓜ジュース(ちょい苦、食後に良)などなどなどなど数え切れないぐらい台湾名物を食べたが、何しろ一回に食べる量が多い。最終的に油の匂いにやられてしまったほどだ。前々日に日本の友達から、向こうでは食べ物は完食しなくていいんだと聞いていたが、私は思い切り挑んで完敗を喫した。
とはいえどれも非常に美味なので、再訪したときはぜひまた挑戦するつもりです。ちなみにこれ全部おすすめ。

一日でいろんな人と出会った。前述のbelinda、郭滕憲そして彼の紹介で小白天とも会い、一緒に西門街を散策した。彼は日本語を学んでいるということで、すごく日本語が上手かった。そして一緒に散策する中で台湾の事情について興味深いことをたくさん教えてもらった。(台湾事情については後ほど考察します)そしてFacebookの友達が一日で倍ぐらいに増え、ゲストハウスに帰ってきてからはFacebookに掛かりきりになった。僕が知らなかっただけで、父は海の向こうである台湾に家族として、友達として接してくれる人をたくさん持っている。金銭的な資産や家業はないが、これから私がそんな人脈を継いでいくことになる、そう考えると父に感謝しつつ、やっぱりよく分からん人だよなぁと改めて感じた。

大長編になりそうなので何篇かに分けます。続く。

2011年6月11日土曜日

台湾旅行記1 台湾前夜 

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 大学の多くの講義の中で、あるいは新聞の中で、いかに日本の学生が「内向き(旅行や留学をせず、近場で生活すること)思考」で、「勉強しない」かということを毎週語られ、心底うるせえなと思っていたのが2010年の10月~2011年の3月(卒業まで)

そして、実際海外に行こうと決めたのが2011年の1月。
ちょうどその時は仙台の実家に帰省しており、地元の友達と夜通しの忘年会をしていた頃だ。時に私のほとんどの友達は就職活動真っ最中で、海外に行く予定であることを話したら、よくよく「留学目的」なのか、とか「向こうで就職する気で行くのか?」などと聞かれた。「そんな訳ねぇじゃん」とか冗談交じりに答えていたが、両者の共通点はどちらも、「商売気」むんむんで海外に行くということで、はっきり言ってそんな気は全くなかった。そんな余裕のない心境で海外に出て行っても、何一つ見えないのだと思っていた。

2011年の3月には大学をめでたく卒業し、何の制約もなくなったのでそれからは旅費を稼ぐことに専念した。そこから先、震災もあって、当初の目標から大幅にずれ4月の初旬に台湾行きを勝手に決め、5月までは誰にも計画を明かすことなく秘密裏に進めた。宿泊先と航空券だけ押さえて、あとはバッグ一つで旅をする。そんな予定だった。
ぽろっと父にこぼしてしまったのは5月のGW明けに、震災後の様子見がてら実家に戻ってきた時である。
「あ、そうそう、来月あたり台湾行くから、よろしく」などと事務連絡っぽく話した所、父は大層喜んで「そうかぁ、台湾に行くのか、ならBelindaを紹介するからぜひ会って来なさい」などと突然言われ、しこたま焼酎飲まされ、夜通し話し合うことになり、おまけに酔い潰された。

Belindaとそのご家族とは一度仙台で会ったことがある。それも小学4年生ぐらいの時、海外からお客さんが来ることは日常茶飯事だったので、あまり覚えていないが、ホテルのオレンジジュースがやたら美味しかったことを覚えている。

父の話を総括すると、父は台湾生まれの日本人(そんなことは初耳)で、Belindaは台湾の家族のようなものだ、ということだった。「縁ってあるもんだなぁ」とか思いながら相変わらず唐突な父の来歴を耳にし、驚きつつも、台湾の家族を実感出来ずに居た。元々我が家は母の実家は頻繁に行き来するが、父の家族には生まれてから一度も会ったことがないし、ありとあらゆる面で謎(突然外国人が泊まりに来たり、妙な所にコネがあるし)だったので、我ながら無理もねぇなと思っていた。
5月半ばに神奈川に帰り、残っていたTask(引越しの物件探し、mission code : OZEの会議)をこなし、往復の格安航空券とゲストハウスの予約を取り、海外用のmobile wifiルーターのレンタルをして、小さいバッグ二つで6月6日に羽田から台北の松山空港へ発った。様々な紆余曲折や想定外の出会いがあったのだが、私は非常に淡々として、行きの飛行機の中では毎週月曜の習慣であるフィードバックシートを書き、非常に冷静だった。

松山空港に着くまでは、だ。

つづく