2011年9月10日土曜日

mission code:OZE-3日目-(lifelog)

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3日目です。今回の尾瀬旅行で最も厳しかったのが3日目の見晴十字路~御池コースであったというのも過言ではない。
なぜって、朝から猛烈な雨が降っていたからです。当日まで燧ケ岳登山を考えていましたが、早朝、外を眺めて「駄目だこりゃ」と思いました。なので今回燧ケ岳登山はなしで、御池まで雨の中帰りました。
  • 起床~8:40
朝ご飯を食べた後、8:40ぐらいまで雨が止むのを待ちながらvendicatore君と雑談。結局雨は止まないので腹をくくって出発。
  • 見晴十字路~赤田代
赤田代を越えると御池まで休憩所がないので、出発からすぐだが長めの休憩。元湯山荘の休憩所にてトイレと水を補給。尾瀬の元気アメとはちみつあんどーなつで身体を癒す。
  • 赤田代~段吉新道~燧裏林道~上田代
段吉新道~燧裏林道は木道とアップダウンの激しい岩場の連続。休憩時間を除けば3時間弱という結構きつい道程でした。
豪雨でもはや髪型にこだわらなくなったvendicatore君。
ものすごい足場の悪くなった木道。
大体こんな場所を30分ごとに10分の休憩を挟みながら歩きました。森の鬱蒼とした雰囲気がまた気分をげんなりさせていました。
ちょうど12時をまわったあたりに、我々は燧裏林道を抜け、上田代に出ました。それがこれ!
天国かと思いました。雲が掛かっているためうすぐらーいですが、険しい山道を経た後に現れる開けた湿原はそりゃもう、最高でした。
歓喜のvendicatore君。
あまりにも景色がいいのと雨が止んだとこで、上田代のベンチで、燧小屋でもらったお弁当のおにぎりを食べました。レインウェア脱いでTシャツ1枚になって感じた尾瀬の風はそりゃもう気持ちよかったです。あと、山上で考えたことは、この場所にもっといろんなやつを連れて行きたいと思いました。
  • 上田代~御池~会津高原尾瀬口
のんびり昼食を摂っている間に、雨がまた再開。あわわとなりながら上田代を出発し、御池まで一気に駆け抜けました。御池に着いたときには、雨が本降りになっており、バスの時間まで2時間弱ぐったりしていました。

そんなこんなでバスで会津高原尾瀬口まで戻り、電車でまた5時間近くかけて東京に戻りました。今回は会津沼山峠スタートで尾瀬沼~尾瀬ヶ原周遊コースを辿りましたが、次行くときは7月に天の川を眺めるコースもいいですし、本格的に燧ケ岳に登るコースもいいですね。
こうしてまた、再訪場所が増えました。またいこ尾瀬!
mission code:OZE 完

2011年9月7日水曜日

mission code:OZE-2日目-(lifelog)

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2日目の日程です。
1日目に尾瀬沼周遊が叶わなかったわけですが、結局尾瀬沼南岸のルートは今、崖崩れのため立ち入り禁止になっていました。がっくし。
という訳で2日目は8時に長蔵小屋からスタートして、見晴十字路まで歩きました。朝方に雨が降っていたのでどうなることやらという感じでしたが、出発までに晴れたので、尾瀬沼の景色を満喫できました。
恒例の写真。かなり寒かったので最初からレインウェア装着です。尾瀬沼から見晴十字路までの道程は木道のないところが多く、アップダウンの激しい、かなり険しい道程でした。
沼尻休憩所に佇むvendicatore君。ちなみに沼尻休憩所の売店やトイレは休みでした。尾瀬の一番の注意点は、1つ1つのポイントや休憩所までの距離が長いので、トイレ休憩をまめにしておかないとすぐにはいけなくなることですかね。
この通り、沼尻からの南岸ルートは崖崩れで閉鎖されてました。30分程度の休憩の後、沼尻から見晴十字路まで気合で歩きとおしました。
見晴十字路についてすぐに宿泊する燧小屋にチェックイン。荷物を整理してからたまらず休憩所でカレーを食べました。とてもおいしかったです。
2日目あまり書くことないなぁ。その後は休みもそこそこに、計画通り尾瀬ヶ原周遊をしました。ルートは見晴十字路から竜宮小屋と牛首分岐を通り山ノ鼻までのルートです。
地下を通って水が流れ込んでいるという『池塘』というやつです。こういうのがそこかしこにあって、刻々と変化しているのが尾瀬ヶ原です。
蓮の大群が池塘に群生しています。しっかしこう満ち干きの激しいところでよく生息していられますよね。2日目はここから山ノ鼻の休憩所で休み、ヨッピ橋を渡り、東電小屋休憩所で休憩をして見晴の燧小屋に戻りました。この辺りは雨で写真が撮れなかったので早足で駆け抜けました。燧小屋はどちらかというと民宿風の山小屋ですが風呂が檜だったりご飯が炊き込みご飯だったりとサービスが充実しています。あとこの日はvendicatore君の悪ふざけが非常にうざかった。

三日目。豪雨の尾瀬を越えて御池にいたる編へつづく。

2011年9月2日金曜日

mission code:OZE-1日目-(ライフログ)

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mission code:OZEの予定通り、尾瀬国立公園に行ってきました。
と、いうわけで少しずつ振り返っていきたいと思います。
  • 1日目
朝4時に起床して最寄り駅を出るつもりがぐっすり眠ってしまい遅刻。会津高原尾瀬口に11:20分に到着しました。(ついでですが、尾瀬口からの実況予定もこれに伴い中止。本当に申し訳ない)
その後、バスの出発時刻まで時間の余裕があったので、近くの店でお食事。
きのこカレーラーメン。かなり器がデカイ。そして非常に美味でした。尾瀬ってあまり飯に関しては言うことはないですが、これは美味です、ご賞味あれ。

そこから約2時間程度、乗合バスに揺られ、1枚目の写真の沼山峠に到着。決意を新たに尾瀬入山。
この日は寝坊のせいで時間があまりなかったので沼山峠から入山し、直接尾瀬沼東岸にある長蔵小屋に向かいました。これは大江湿原をバックに写真。
決めポーズ。
写真はこれ以外にもたくさんあるので、後でまとめて写真用エントリ書きます。
大江湿原の景色を見ながら宿泊する長蔵小屋へチェックイン。時刻が遅かったからか、部屋で荷物を整理して一息つくとすぐにお風呂と夕食でした。この日はお客さんが少なかったからか、飯も風呂もほぼ貸しきり状態という超好待遇を受けました。夕食の高野豆腐が非常に美味しかったです。
その後、vendicatore君はお部屋でかくれんぼし、私は談話室でブレンドコーヒーを頂きながら、スタッフの方と話していました。
尾瀬は平地より標高の高いところ(大体1000m)にあって、携帯電話はもちろん、ネットも雑誌もありません。あと、オフシーズン(11月から5月初旬)にかけてはあまり人もいなくなるので、震災の話は尾瀬を訪れるお客さんから聞くようになった話していました。原発の風評被害に関しても若干触れましたが、別段影響もなかったようです。なんか良かった。
スタッフさんのお話でちょっと印象的だったのが、尾瀬は情報が全く入ってこないからこそ、考える時間がたくさんあるということでした。あと、東京やその他の都市を「下界」と呼んでいたのも印象的でした。
ちょっと考えてみれば、私の周りの人のイメージする尾瀬というところは特別有名な食べ物や名産品があるわけではなくて、都心からそう離れていない割には知名度が少ないところである。
しかし、尾瀬にはどこまでも広い自然があるし、いい空気がある。そして休憩所のベンチに寝転がって夜空を見上げてもだーれも文句言わないし見てこない、どでかい自由と膨大な時間がある。7月になると、天の川がとても綺麗に見えるらしいということなので、今度訪れる際は7月に来てみたいなと思いました。

まあ、自由ばかりが尾瀬ではない。尾瀬の試練は2日目につづきます。

2011年8月23日火曜日

旅の相棒達2

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どーん!レインウェア購入しました。(本当はシューズの予定でしたが予算が全然足らなかったので変更しました。)
商品名はmonbellのレイントレッカーという商品です。
事前情報としては、登山靴およびレインウェアは出来るだけゴアテックス製の物の方が水を通さなくて良いということなんですが、ゴアテックスが入ると値段が跳ね上がってしまうというのが、すごく悩んだポイントでした。ちなみにこいつはゴアテックスではありません。

決め手は、レインウェアの位置づけがベーシック向けだったのと、1年で何回山に登るかを考えたとき、ゴアテックスを買うのはもう少し経験を積んだあとでいいのかなと思ったことと、あとは価格です。
尾瀬は雨が非常に多い地域らしいので、このウェアがどれだけ役に立つか、ちょっと試してみたいと思ってます。尾瀬への道は続く続く。

薄情遊冶郎/take0100

2011年8月21日日曜日

mission code : OZE-近況報告2-(written by take0100)

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雨です。
尾瀬旅行計画について、近況報告します。
現在状況
  • 各種装備の準備(シューズ&レインウェア。急げ!!)
  • mission code:OZE project seatの編集作業(すごいフリーダムなしおりになってますが着々と進んでいます...)
  • 尾瀬までの道程からの実況←new(ustreamが有力、その他ツイキャスなども考慮中。ただし、尾瀬ではwimaxの電波が繋がらないため、3Gで行う可能性を検討中)
当面はproject seatの作成と装備の準備メインになると思いますが、あと10日もないので、毎日更新ぐらいのスピードで準備していきます。
ここのところ一週間は、個人的なことですごくもやもやしていて、ブログの更新にも手を付けられない状態でしたが、尾瀬旅行が目前に迫っているので、気を引き締めて準備に取り掛かります。

追記
新たに旅の相棒を得ました。AndroidタブレットのIconia tab a500です。
まだ使ってみて間もないのですが、ブログの更新やらなにやらには非常に役に立つ相棒になると思います。慣れたら何か記事に出来たらいいですね。
薄情遊冶郎/take0100

acer【アイコニア】ICONIA タブレットPC シルバー ICONIA TAB A500-10S16
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2011年8月16日火曜日

伊東夏合宿

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本年度2回目の旅行です。伊東に行ってきました。
※尚、写真枚数がごくわずかなのはご了承あれ
今回は私がもと所属していた大学のゼミ合宿にOB枠として参加しました。(OBっつっていいのかも不明ですが)久しぶりに同期や後輩たちと接することが出来てなかなか面白かったです。

タイムスケジュール
  • 朝6時から最寄り駅発~同期との待ち合わせの熱海まで電車
  • 朝10時ぐらいから旅館に荷物を置いて海(海の家のぼったくり具合に懐が痛む)
  • 11時からそば打ち体験。美味しくいただきました
  • 15:00~18:30まで勉強会。
  • 18:30~夕食、宴会などなど。同期のゼミ生のFacebookアカウント作成に手を貸したり後輩のお悩み相談コーナーを深夜開催したり、こっそり温泉に入ったり気楽に過ごす。どうでもいいけどwimaxつながらねぇ!!もしかして尾瀬もそういう感じなのかも。
  • 翌朝5:00 無用に早く起きて近所の猫と戯れる。街の散策
  • 10:00ぐらい お土産を購入
  • 11:00そのまんま伊東駅から帰宅。
と、いうわけで後輩と同期のFacebookアカウントごっそりゲットして帰ってきました。あまりアドバイスとか出来る身分ではないですが、細く長く交流できればいいですね。

追記
gregory z35を試してみた。
1泊2日、ほぼ無梱包、衣類の圧縮などせずに荷物を詰めてみたところ、結構きつきつになりました。恐らく尾瀬の時はしっかりした圧縮が必要です。
あとPC重い。もう少しなんとかならないもんか。

2011年8月8日月曜日

take0100's Thinkbox

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夏ですね。我が家はクーラーもエアコンもないので、夏場は窓全開で生活してます。born to be 省エネ。

それはさておき、8月に入って当ブログの更新頻度がやたら下がっているのを、読者の方はご存知かと思います。
何故かと言うと、書きたいネタは結構あるのですが、それを記事にするまで練り上げられていないというのが主な理由です。かといってしばらく放置しておくのも気になってしかたない。

そこで、月に更新を予定しているネタを『Thinkbox』と題して定期的に公開していきます。要は、こんなことを書こうと思っているよー!という意思表示です。
真面目にブログやっている方からしたら、記事の無駄遣いやと非難されそうな気もしますが、気の向くままに、やっていこうと思います。それではどぞー!
  1. 書評『池袋ウエストゲートパークⅧ 非正規レジスタンス』:ただいま編集中、ただしこの巻だけを取り上げるべきか全部取り上げるべきかで検討中
  2. ライフログ『進化する若者』:若者による若者ライフスタイル観。むかーし流行った、草食男子とかいうライフスタイルについて考察しようかと検討中、今のところまとまりなし。
  3. mission code:OZE 『近況報告』: 気がついてみたらあと1ヶ月切っているこの計画。project seatの方は日々更新しているので、完成版と共にブログにUP予定
  4. トラベル、ライフログ『伊東旅行記with○○ゼミ』:今月前半を予定。8月の旅行予定の1つ。事後に旅行記を作成予定です!
最近フィードバックシートを見ていて思うのですが、自分は実際の行動が多い週とそれほど多くない週があって、行動が多い週にリアルタイムで更新することがまだ出来てないんですよね。せっかく良いPCやスマートフォン、モバイルwifiを持っているのにこれじゃ宝の持ち腐れなので、出来るだけリアルタイム更新を実現できるといいね!

2011年7月21日木曜日

新たなる旅の相棒(バックパック)

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尾瀬旅行の話が最近全くありませんでしたが、久々に更新します。
バックパックを買いました。
画像だけだと何のことやらさっぱりなので、最後にリンク貼っときます。
GREGORYのZ35を購入しました。はっきり言って僕は初心者極まりないので、それなりのレビューしか出来ませんが、何卒ご勘弁。
こいつの良いところは背面がメッシュで通気性がいい(らしい)こと。
それでもって下部の雨垂れマークの部分にレインカバーが格納されています。最近は標準装備らしいです。
背面にファスナーがついていて、雨蓋をはずさずに中身に物を出し入れできます。
サイドのベルトで荷物が圧縮出来ます。(画像が最大圧縮時)
比較対象はmammutのCREON-LIGHT、ものすごく本体が軽いのと、胸のベルトにホイッスルがつくという細かいところが芸達者なバックパック。それとオスプレーのやつ(名前忘れた)これも結構軽くていい感じでした。
最後に人気のthe north faceのTELLUS,こっちはウエストベルトのパッドがすごく分厚く、重厚なつくりをしてます。あとカラーバリエーションがすごく豊富。レディース向けもあるので、女性の方も大丈夫。

今回は好日山荘にて買いましたが、やっぱ店頭で買うのが一番安全でした。まずネットで買うにしても、バックパックの背負い方とか、教えてもらわないと分からない事ばかりでした。
あと、予想外だったのが、メンバーズカードを作るときに「いい名前ですね」と店員さんに言われたことですね。登山家の方にとっては、僕は食いつきがいい名前らしいです!

take0100/薄情遊冶郎

2011年7月19日火曜日

ガキの街という幻想

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私は「渋谷」という街を、実に頻繁に訪れる。理由はよくつるんでいる友人が何かにつけて渋谷渋谷と指定してくるので、ついつい通いなれてしまったのである。主な目的は買い物、日用品やら衣料品の買出し、クラブ、カラオケ、飲み会の場所にも良く使う。就職活動で来た事もあるし、バイトで通ったこともある。
なじみの服屋があって、店員さんと話すために通った時期もある(今はなし)
おのぼりさん丸出しだった大学1年の頃から考えると、4年以上のお付き合いである。

そんな私が最近、渋谷に対してこんなことを感じるようになった。「ここは若者の街なのか?」
若者の街である。センター街も、ハチ公前も若者で溢れている。
ただ何か、小奇麗になっている。ギャルもいないし、109-2とかでバリバリいわしてたギャル男も見ない。どっかのJPOPアーティストのアドトレーラーが走る。ロックバンドと思いきや、AKBとかそんなの。繁盛しているのは外資のファストファッションブランド、それとユニクロ。街を歩けば、圧倒的に大学生、小麦色に焼けた体格の良い社会人が多い、最近はそんな感じ。あっ、そういえば古着屋ってどこにあるんだろう。

ここ数年で、渋谷はどんどん均一化している。若者の街だった渋谷を歩くのは外国人旅行者や大人。ガキの居場所はせいぜいマクドナルドやサイゼリヤ、それからカラオケぐらい。
個人的には「変わったなぁ」という思いがあるが、それでも悪いこととは思っていない、むしろ機能的になったように感じる。例えば秋葉原=電気街、オタクの街、や新宿=風俗、飲み屋街というような、目的が明確な都市に比べれば、曖昧なイメージしかない渋谷は、いつでも簡単に変わる。

そういえばちょっと前、渋谷を拠点に、住所を持たないで生活する浜田ブリトニーさんって漫画家がいたよね。今、渋谷でずっと過ごしていても、彼女のような色のつきかたはしないんじゃないか。つまり、ガキの街は、終わったんじゃないか。

と、先日、友人と、ずっと東京に住むことについて話したときに思ったことを書きました。
雑文失礼。

2011年7月6日水曜日

台湾旅行記番外編-私の見た台湾-

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ここからは私の見た台湾の姿を旅行記とは別に、ちょっと真面目な考察として書いていこうと思う。
  • 日本企業の進出
台湾には街を見ただけで数多くの日本企業が進出している。コンビニエンスストアのファミリーマート、セブンイレブン、そして、百貨店のSOGOや高島屋などはなくてはならない存在になっている。外食系ではモスバーガー、ミスタードーナッツ、変り種では西門街にらーめん花月が進出している。その他、ちょっと変り種ではコーヒー豆の輸入・卸売、喫茶店、カフェの開業支援、運営サポートなどを手がけるクラウンコーヒーの店舗があった。
日本の電気メーカーの進出もあるかと思ったが、忠孝新生の電気街の中では、店舗の規模はLenovoやSAMSUNGだった。(それでも数は多い)
  • 屋台文化
1日目に台湾の原宿といわれる、西門街を回っていた時に、友人から教えてもらったことなのだが、台湾では誰もが店主になりたがるというのが、すごく分かる気がした。なにしろ、日本で言うところのパルコやラフォーレのようなファッションビルの中は、4畳あるかないか小さな店がひしめき合っているのだ。
飲食においても、駅を降りれば1つか2つの屋台はすぐに目に付く。台湾の有名な観光名所に士林夜市などの夜市が入るぐらいなので、個人商店がとにかく多いのだ。
Belindaに聞かれて答えに詰まった質問がある、それは、日本ではスーパーマーケットと市場、主にどっちで買い物をするの?という質問だった。もちろんスーパーだが、日本では市場は選択肢に上がらない。


    • 中国人と台湾人の違い
    ちらっと探してみたところ、こんな記事があった。http://sankei.jp.msn.com/world/news/110628/chn11062821110007-n1.htm(台湾、個人旅行解禁で中国人客にシフト-msn産経ニュース)
    私が旅行していたのはちょうど解禁になる前だったが、故宮博物院ではそれは多くの中国人ツアー客を見た。台湾では、どうやら大陸から来る中国人というのは、外国人という扱いらしい。私は昔、北京出身の中国人と一緒にバイトしていた事があるが、人柄は非常に良い人であったが、実に良く喋る。そしてお金にシビアな印象が強い。台湾の人は、丁寧に言葉を選んで喋る。何か話すにしろ、ちょっと考えてから言葉にして、出来るだけわかりやすく伝えようとしているところがうかがえた。(多分僕が日本語しかできねぇからだと思うが)
    まだ北京やら上海やらも訪れていないので、一概には言えないが、台湾人と中国人は別物である。

    その他、台湾では日本のJPOP結構流行っていること、なぜか知らないが、baffaloの広告に、日本でno.1と大々的に書いてあったことなど、色々気づいたことはあるが、蛇足になりそうなのでこのあたりで切り上げる。多分来年の春に行く時には、また印象も変わってくるだろうと思う。
    ではまた

    2011年7月5日火曜日

    旅の相棒達

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      さて、台湾旅行記を書き終えたが、今回の旅で学んだことが色々ある。特に持って行く荷物に関しては後で、「これは必須だったろうな」というものが多々あった。
    2度目の過ちを犯さないように今のうちに記述しておこうと思う。参考になったら嬉しい。

    • 持っていった物
     スマートフォン(Xperia SO-01B)
     現在のメイン携帯。これがなければ現在位置がどこかも分からないしメールも出来ない。あとちょっとしたことだが、相手の言った言葉を翻訳するアプリも役に立った(若干)この機種はグローバルパスポート対応していないので使えないが、下手に使える機種だと勝手に3Gデータローミングして馬鹿高い料金を請求されるので注意。「機内モードon+wifi接続 on」にして、iPod touchのような使い方をすればOK

     モバイルwifiルーター
     今回はテレコムスクエアという会社のmobile wifiルータを借りていった。レンタル料が1日1200円、4日間なので合計4800円のクレジットカード払い。羽田から7時発だったのでぎりっぎりだったが、6:30から開いているので、早朝発でも何とか大丈夫。
      借りてったルーターはこれだが、我が家のwimaxルーターaterm WM3500Rと比べて、繋がる速度も速ければ起動も早いので、すごく快適。ただ1日は持たない。

       ガイドブック
        台北 (ことりっぷ海外版)

        昭文社
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        不要。いや実際必要なことは必要なのだ。MRTの使い方とか地図とか、だけどちょっと気の利いた宿なら備え付けのがあるから、いらない。買うとしても「地球の歩き方」とかにしましょう。価格と薄さにこだわっちゃダメ、絶対。


        • 必要だと思ったもの
        Facebook
         海外の人と交流を持つなら、Facebookアカウントは絶対必要。大体初対面で、1回飲んだとか紹介されたとかだけでも、すぐに友達申請が来る。ちょっと海外旅行するだけでも、面倒臭がらずにアカウント作ろう!ちなみにtwitterは台湾では流行ってない。Skypeも必須だが、台湾ではMSNメッセンジャーもメジャーらしい。

        ノートPC
        これもFacebook関係で追加。Facebook for Androidで全部解決出来るだろうとか思っていた私が馬鹿でした。送られてきたメッセージは見れるけど、イベント内のスレッドは見られないんだよ。おいおい。ゲストハウスには1台置いてあったので、帰ってからはずっとそこでやっていたが、なにしろ共有なので、長時間作業する人は持って行け!その他、自分は英文メール送るためにGmailと翻訳をずっと動かしていたが、やっぱりマルチタスクではスマートフォンはノートに勝てないよ。閲覧が限界。

        GSM携帯
        携帯がないことで今回どれだけ困ったことか。通話が出来ない、連絡が取れない、これだけですが非常に大きい。ちなみにSkypeで代用とか考えない方がいいかもしれない。みんなiPhone持ってるとは限らないし、アプリを常駐させると、当然バッテリーの減り早くなります。もちろんレンタルも可能ですが、保証金払うお金ない人は、買いましょう。私も次の旅行ではプリペイドsim現地調達して使ってみる予定です。

        キャリーバッグorバックパック
        持って行く荷物は最低限に抑えて!これ前提ですが、機内持ち込み手荷物と、預ける手荷物ぐらいは分けておいた方がいいです。化粧品とか透明の袋に入れて機内に持ち込むとか、手続き面倒ですから。4日とか6日の滞在で大型重厚なハードキャリーバッグなんて凝る必要はないですが、帰りの荷物を収納するために、中型のやつ一つ持っていけば十分だと思います。

        以上、この他にも世界対応の電源変換機だとかiPodとか持っていきましたが、この二つはまるっきり使いませんでした。どこに行くのかによって、変換機の必要性は変わってくると思います。あと、モバイルwifiルータのレンタル料も結構掛かるので、公衆無線LANの使用も覚えておいた方が良いです!

        今後は回数重ねて相棒たちを揃えていこうと思います。では!

        2011年7月4日月曜日

        台湾旅行記5 (6/9)-夜遊びからの強行帰国-

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        台湾総督府、中正紀念堂を巡り、ゲストハウスに着いたのが午後11:00分頃、コンタクトレンズはずしてとっとと寝ますかと思っていた矢先、ゲストハウスに泊まっていた女子3人から、クラブに行かないかと誘われた。わーい!さすがに疲れていたが、夜遊びは別腹、ということでのこのこクラブに着いて行った。

        身分証いるのかよ!!渋谷のクラブでもその手続きは全く変わりないわけですが、こちらはもれなく外国人、なのでパスポートが必須なのです。僕ともう一人が持ってきていなかったので、入れるか入れないかですったもんだしてましたが、自分は日本の運転免許証で入れ、もう一人はあとから入れましたので問題なしです。後は詳しく覚えてませんww
        ビール飲んだり煙草貰ったりして楽しく過ごしました。女子3人にくっついて台湾男子のカラオケにも潜入し、大層楽しみ、朝帰りしました。日本語の曲もちゃんと出せることにびっくり。

        朝、ゲストハウスに帰り、9時頃まで仮眠を取りました。ゲストハウスのマスターともそこで初めて会いました。1時にゲストハウスを出るまでは帰り支度をしたり、新しく来たゲストの方と話したり(台湾の観光地をぺらぺら喋ってた)してました。たった4日間しかいなかったくせに、随分詳しくなったものです。

        ゲストハウスをチェックインした後は、中山駅周辺の免税店を回り、日本に持って帰るお土産を買って過ごしました。着替えがシャツ2枚しか持っていなかったので、しょうがなく黒シャツで出ましたが、予想以上の暑さにやられていました。

        そして台湾初の雨に打たれ、芝山駅の喫茶店で、Belindaと会いました。話している喫茶店の中に、丁度日本人の方が来ていて、中国から台湾への個人旅行者が解禁になったというお話や、台湾の住居の家賃は大体日本と同じぐらいというお話を伺いました。その後、タクシーで空港へ行く途中、彼女の息子さんの勤め先で別れの挨拶を交わし、ちょっと早めに空港に到着して、Belindaとはそこで別れました。台湾滞在中、本当に何から何までお世話になりました。感謝感謝です。

        後日談ですが、来年の春に、今度は家族総出で台湾に行くことになりました。なので来年はもう少し中国語と英語を喋れるようにするというタスクが早速出来てしまいました。

        そんなこんなで、4日間の台湾旅行を終え、日本に戻ってきてからはまたあわただしく過ごしています。ちょっと海外で生活すると、日本のよさに気づくと言いますが、私はなんというか「やべぇ!もっと日本に詳しくならないと!」といった感じです。むしろ今度ホストとして日本を紹介する時に、すかすかの知識では来客に失礼なので。とかく台湾の人はもてなし好きなので、あれ以上を仕込んでおかねば!と最近は思っています。

        台湾旅行記、完

        2011年6月24日金曜日

        台湾旅行記4 (6/8)-故宮博物院と淡水の夕焼け、台湾の家族との夕食-

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        実質、台湾最後の日である。この日は台湾での出来事を全部(一人旅、台湾の家族との交流、バイク観光、ゲストハウスの人々との交流)を全部煮詰めたような日であった。
        まず、朝起きてすぐに、Belindaのご家族と夕食を共にする約束をしていたので、その詳細を詰めるためにメール。もうこの頃になると英文メールを真面目に打つのは初めてだったが、翻訳ソフトを使いながら、上手く合流の予定を組んでゲストハウスを早くに出た。
        まずは中山駅からMRTに乗って士林駅まで移動。士林は一日目に行った士林夜市があるところだが、こうしてMRTで来るのは初めてだ。士林駅を出てすぐのバス停に行き、運行時間などを確認し、コーヒーを飲みながら国立故宮博物院行きのバスを待った。今回の旅行の際、持って行ったガイドブックは役に立ったことはない(安物だし)が、バスの運行予定を調べたりするのには割と役に立った。分からない人は恐らく日本人や他国の人がバス停で同じように待っているので、その人たちが乗っていったバスに入れば、難なくたどり着けます。
        国立故宮博物院の入り口。ここで写真撮影してる人がたくさん居たので一枚。
        入り口のすぐ横で、何かの政治団体が抗議活動をしていた。詳しくはよく分からない。
        バスの停留所近くの入り口から、メインの第一展覧エリアまでは、結構歩く。2枚目の写真に写る階段を上がった後、一本道が続き、また階段を上がる、そうしてようやくこの写真の広場に着く。第一展覧エリアはこの階段を上がった奥の建物である。
        国立故宮博物院は、北京にあった紫禁城に貯蔵されていた中国歴代皇帝のコレクションが、戦禍を避けるために場所を転々とし、現在、ここ台北に設立され50年以上になるらしい。一生かけても見終わらないと言われています。館内はもちろん撮影厳禁なので、写真はないですが、玉とか、翡翠なんかを繊細に加工した芸術品や仏像がたくさんあります。ツアー客もたくさん来るし、台湾でははずせない名所ですね。

        4時過ぎに国立故宮博物院を出て、バスで士林駅まで戻った後、MRTに乗って、次の目的地、淡水に向かう。ちなみに淡水行きのMRTは北投駅で一度乗り換えが必要だ、そのまんま淡水まで一本で行くと思っていると痛い目にあう(経験済み)のでご注意を。
        淡水は夕日がすごく綺麗な、景観を楽しむ観光名所で、東方のヴェニスなんて呼ばれているらしい。台湾のデートスポットとしても有名で、川べりを歩いていると、恍惚としているカップルがたくさんいます。
         夕焼けの時刻よりちょっと早めに到着しました。駅からはバスが出ているようですが、それより何かちょっと食べておきたかったので近くの屋台街で色々買って、ぱくつきながら遊歩道を散歩。
        遊歩道。ゴミ箱とベンチが等間隔で並んでおり、環境がよく整備されている。
        渡し船乗り場、これもスマートカードがあれば乗れます。
        景色が綺麗だったのと少し歩きたかったのもあってしばらく遊歩道を歩き、ベンチで休むを繰り返して、ついに絶景。
        夕日が水面に映って、金色に染める。まさしく絶景です。この後私はこればっかり撮影してました。
        釣りしてる人も居ます。地元の人でしょうね。ちなみに、淡水は遊歩道の途中にいくつか景観ポイントがあって、節約したい人は岸辺に腰掛けて、ちょっと出しても良い人はスターバックスに、思い切り出してしまいたい人はレストランに入るなどと、観光客およびカップルに対する設備万全でした。もう一度行きたい。

        その後、5時過ぎに淡水を出て、Belindaとそのご家族と夕食を共にするために芝山駅へ、二人でデパートに入り、ちょっとした買い物と食事をしてから彼女の娘さん、昨日、観光に付き合ってくれた息子さんと夕食を共にした。息子さんに関しては『台湾旅行記2』で話したとおりだが、娘さんは中国語と日本語が少々と、フランス語が喋れるらしく、初めて会話した時、日本語だったのですごく驚いた。台湾で出会った現地の方は皆バイリンガルだ。(ちなみに私は大学で第2外国語がないので、日本語とくだけた英語のみ。なんてこった)
        夕食を食べ終わって、2回目の全員そろっての記念撮影をした。2番目に低かった身長が今やトップタイ、少しは逞しくなったということだろうか。

        Belindaと娘さんと別れ、私は息子さんと最後の台湾観光をした。台湾総督府は写真撮影できなかったので中正紀念堂で写真を撮ってもらった。
        ちょっとぶれているが、夜の中正紀念堂はスケールがでかい。
        少々強引にフラッシュたいたのでこんな感じ。
        ちなみにフラッシュが上手く出来るまで何度も撮りなおしした。使いやすいカメラを持っておくのも、旅の教訓である。
        その後、彼のバイクで宿まで送ってもらった。1月に彼の友達が日本に来るらしいので、その時はぜひもてなそうという話をたどたどしい英語でしながら、台湾最後の夜を駆け抜けた。

        実は宿に帰った後にまたもう一つ出来事があるのだが、それは日をまたいでいるので、台湾旅行記5に続きます。

        2011年6月19日日曜日

        台湾旅行記3 (6/7)-一人旅堪能の九份、wifi断絶の恐怖-

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        皆さん九份って知っているだろうか。自慢じゃないが僕は全く知らなかった。
        ゲストハウスの皆さんが結構よく薦めてくれるのがこの九份で、どんな場所かというと、「千と千尋の神隠し」の舞台の元となった場所なのである。
        2日目はこの九份をメインに観光した。まずはゲストハウスのある中山駅を出発して後で回ることになる忠孝新生駅をぶらつく。
        駅を出てすぐの国立台北科技大学。台湾の工業大学の最高峰らしい。


        なんだかスケールが違う。そしてモダンな建物。テクノロジー最前線みたいな大学の緑だらけのキャンパスが、本当に降りてすぐにあります。
        その他、忠孝新生はいろいろあるわけですが、また来ることになるので最後にまた触れます。


        一駅先の忠孝復興に着き、九份行きのバスを待った。忠孝復興から九份までは基隆汽車客運バスで一本。一時間ちょっとで行ける。バスの運賃は80元(日本円で220円強)。
        台北では日本で言うpasmoのようなチャージ式プリペイドカードがセブンイレブンやファミリーマート(全家っていうんだよ!)で売られている。これを使えばMRTも路線バスもかざすだけで大抵乗れてしまうので、中国語の上手くない日本人には大助かりな代物である。(とはいえ日本語で対応してくれる運転手も多い)
        実は忠孝復興に着いた際、ちょっとした失敗をしてしまった。チャージしようかと思って財布を覗くと、100元札がなかったので、ええい面倒だと言って1000元チャージしちゃったのだ。日本であれば、1万円チャージしてもすぐなくなるから当然4日間で使い切るだろう思っていたが、違う。MRTの運賃表を見てみれば分かるが、どんなに遠くても65元が最高なので、当然の如く、余る。このように、為替レートが分かっても物価が分からないで苦労することは結構あるのだ。この辺、「行って見ないと分からない事」の筆頭である。この後この話をBelindaや彼女の娘さんにしたが、まあ驚かれた。「交通費なら心配ないよ。1000元も入ってるから、どこだって行けるさ」なんつってました。
        九份の屋台街。入り口からして薄暗く、肉と油の入り混じった匂いがぷんぷんする区域。ちなみにこれ、


        山奥にあります。市街地じゃないです。ガイドブックによると、元々閉山した鉱山跡地だったのが映画のロケ地で使われて人が集まり、今や一大観光名所らしいです。もう一回行きたい。ちなみに僕はのどの渇きと暑さでそれどこじゃなく、ジュースをちゅるちゅる飲みながら散策してばっかりであんまり写真撮ってませんでした。


        5時過ぎに忠孝復興の駅に戻り、昨夜、お世話になった友人に仕事が終わったぐらいに連絡してくれと言われていたので、45分ほど時間つぶしがてら忠孝復興をふらついた。今日はFacebookあるし、メッセージ送れば問題ないなと、正直安心しきっていたのだが、ここでWifiの電源が切れた。ネット繋がるスマートフォンあれば携帯電話借りる必要なしと思って甘く見ていた完全なミス。レンタルwifiルータは一日持たないんです。それからは公衆電話に行き、電話かけては留守電で途方に暮れて電話して小銭なくなって時間切れ、札を崩すためにコーヒー飲んでの繰り返し、テレホンカードの裏表を間違え、役立たず扱いしては小銭つかって電話かけてと無駄な行為を繰り返し、ようやくBelindaと会うことが出来ました。アナウンスで名前呼ばれてようやくたどり着けるという始末でした。全くお騒がせしました。


        その後、芝山駅で夕食をご馳走になり、店内でPCを使わせてもらい、父にメール入れたり、日本から輸入して使っているコーヒーマシンの説明を受けたり、日本語学校の先生をしているというBelindaの知り合いと話をして、その後二人で忠孝新生へ向かった。


        忠孝新生は日本で言うところの秋葉原(電気街)で、台湾で有名なAcer,ASUSから日本の富士通、東芝、SONY、あとApple、lenovo、msiなどのPCの販売店がずらっと立ち並ぶ地区である。Appleストアだけは別格に広かったが、それ以外のメーカーは縦長の店舗が一角にぎゅうぎゅう詰めに入っている形だ。ちょっと中を覗いてみたが、実に熱心に接客され、商品説明バリバリされて、すごく商売熱心に感じた(もちろん買う金はない)。


        2日目はこのような流れで、ミスして大量チャージしてしまうわwifi切れて途方に暮れるわ、お騒がせだらけの1日になってしまった。最後にBelindaにGmailアドレスを交換して、翌日に備えてその日は早めに帰って就寝した。本当に、連絡手段を持っておくことは重要であると実感した1日でした。


        続く。

        2011年6月15日水曜日

        台湾旅行記2 (6/6)-台湾で出来た家族、食文化に負けた夜-

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        6月6日から9日まで、3泊4日の台北旅行に行った。
        持ち物は着替えと身の回り品、そしてwifiルーターと日本からのお土産、合計鞄2つという軽装で羽田から飛行機に乗って松山空港に降り立った。

        これが台湾に着いて初めて撮った一枚、宿泊先のゲストハウスがある台北の中山駅から旅は始まった。空港からちょっと出たところのコンビニで早速店員の兄ちゃんを困らせる出来事があったが、MRTの移動は思ったほど苦でもなく、10分少々で宿泊先のゲストハウスのある駅に着いた。


        ゲストハウスに着いて早々、やったのがこれである。なにやら6月6日は地球の引力の関係で、卵が立ちやすい日なのだそうだ。チェックインしてすぐに、ゲストスタッフ総出で卵立て始めるのだから、なんのこっちゃと面食らった。その後ゲストの皆さんは皆でどっか出掛けてしまった。初対面同士ですぐ打ち解けてどっか行っちゃう。ゲストハウスの習慣というか雰囲気をここで初めて知った。
        その後、私は父から紹介されていた台湾の知り合いと会うべく電話で連絡(この間、公衆電話で悪戦苦闘し、あげくスタッフの方から携帯借りてようやく連絡取れるなど、かなりの騒動があったりした)を取り、ゲストハウスまで来てくれるということなので、それまで泊まっていた他のゲストの人と雑談して、時間を潰していた。話した人はちょうど会社員の方で、仕事休んで来ているらしく、おすすめの観光地やスポットを教えてもらった。台湾に対する事前知識が少ない自分はほとんど話を聞いているだけだったが、皆すごく旅なれているなぁと思った。
        なにしろ、航空券とゲストハウスの予約だけとって、ふらっと一人で来ました、のような人なんてざらなのだ。ちょっと気負っていた自分が馬鹿らしくなるくらいだとその時は思った。(旅行最終日には自分がそうなっているとも知らずに)

        しばらく雑談した後、台湾の知り合いであるBelindaと再会した。早速ちまきやバナナを貰い、日本からのお土産を渡した。Belindaは非常に英語が堪能で、彼女と話しているときは100%英語だった。久しぶりに会う私にも非常に気さくに接してくれて非常に感謝している。
        その後、彼女と一緒にMRTに乗って芝山駅のそごうで冷房を堪能し、そこで4日間の台湾旅行を先導してくれる郭滕憲と合流し鼎泰豊で昼食をごちそうになった。台湾の情報、家族の話など色々な話をして、我々の共通点である父の話をした。

        そこから先が怒涛だった。昼食の後、Belindaと別れ、郭滕憲のバイクに乗せられ、温泉に行った。台湾の絶景で写真を撮った。どでかいチキンも食べたし、士林夜市にも行ったし、西門街も回った。随分あっさりと全部こなしたなぁと思うが、これ全部、ほぼ半日でやってのけたのだ。


        台湾の絶景と私。郭滕憲はとてもナイスガイでたくましく、親切で、おまけにスペイン語が出来る(!!)人生経験豊富な人です。私が彼から貰った携帯落っことして紛失した際も気にすんなと言ってくれたり、器の大きい人です。おまけにバイク一つでどこでも行っちゃうすげえ行動力の持ち主でした。台湾で過ごしている時、非常にお世話になった、感謝感謝である。

        たった一日で小籠包、ちまき、どでかいチキン、梅水(台湾の梅を使ったジュース、甘い)、牛肉麺、臭豆腐、エビとかカキ入りオムレツ、瓜ジュース(ちょい苦、食後に良)などなどなどなど数え切れないぐらい台湾名物を食べたが、何しろ一回に食べる量が多い。最終的に油の匂いにやられてしまったほどだ。前々日に日本の友達から、向こうでは食べ物は完食しなくていいんだと聞いていたが、私は思い切り挑んで完敗を喫した。
        とはいえどれも非常に美味なので、再訪したときはぜひまた挑戦するつもりです。ちなみにこれ全部おすすめ。

        一日でいろんな人と出会った。前述のbelinda、郭滕憲そして彼の紹介で小白天とも会い、一緒に西門街を散策した。彼は日本語を学んでいるということで、すごく日本語が上手かった。そして一緒に散策する中で台湾の事情について興味深いことをたくさん教えてもらった。(台湾事情については後ほど考察します)そしてFacebookの友達が一日で倍ぐらいに増え、ゲストハウスに帰ってきてからはFacebookに掛かりきりになった。僕が知らなかっただけで、父は海の向こうである台湾に家族として、友達として接してくれる人をたくさん持っている。金銭的な資産や家業はないが、これから私がそんな人脈を継いでいくことになる、そう考えると父に感謝しつつ、やっぱりよく分からん人だよなぁと改めて感じた。

        大長編になりそうなので何篇かに分けます。続く。

        2011年6月11日土曜日

        台湾旅行記1 台湾前夜 

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         大学の多くの講義の中で、あるいは新聞の中で、いかに日本の学生が「内向き(旅行や留学をせず、近場で生活すること)思考」で、「勉強しない」かということを毎週語られ、心底うるせえなと思っていたのが2010年の10月~2011年の3月(卒業まで)

        そして、実際海外に行こうと決めたのが2011年の1月。
        ちょうどその時は仙台の実家に帰省しており、地元の友達と夜通しの忘年会をしていた頃だ。時に私のほとんどの友達は就職活動真っ最中で、海外に行く予定であることを話したら、よくよく「留学目的」なのか、とか「向こうで就職する気で行くのか?」などと聞かれた。「そんな訳ねぇじゃん」とか冗談交じりに答えていたが、両者の共通点はどちらも、「商売気」むんむんで海外に行くということで、はっきり言ってそんな気は全くなかった。そんな余裕のない心境で海外に出て行っても、何一つ見えないのだと思っていた。

        2011年の3月には大学をめでたく卒業し、何の制約もなくなったのでそれからは旅費を稼ぐことに専念した。そこから先、震災もあって、当初の目標から大幅にずれ4月の初旬に台湾行きを勝手に決め、5月までは誰にも計画を明かすことなく秘密裏に進めた。宿泊先と航空券だけ押さえて、あとはバッグ一つで旅をする。そんな予定だった。
        ぽろっと父にこぼしてしまったのは5月のGW明けに、震災後の様子見がてら実家に戻ってきた時である。
        「あ、そうそう、来月あたり台湾行くから、よろしく」などと事務連絡っぽく話した所、父は大層喜んで「そうかぁ、台湾に行くのか、ならBelindaを紹介するからぜひ会って来なさい」などと突然言われ、しこたま焼酎飲まされ、夜通し話し合うことになり、おまけに酔い潰された。

        Belindaとそのご家族とは一度仙台で会ったことがある。それも小学4年生ぐらいの時、海外からお客さんが来ることは日常茶飯事だったので、あまり覚えていないが、ホテルのオレンジジュースがやたら美味しかったことを覚えている。

        父の話を総括すると、父は台湾生まれの日本人(そんなことは初耳)で、Belindaは台湾の家族のようなものだ、ということだった。「縁ってあるもんだなぁ」とか思いながら相変わらず唐突な父の来歴を耳にし、驚きつつも、台湾の家族を実感出来ずに居た。元々我が家は母の実家は頻繁に行き来するが、父の家族には生まれてから一度も会ったことがないし、ありとあらゆる面で謎(突然外国人が泊まりに来たり、妙な所にコネがあるし)だったので、我ながら無理もねぇなと思っていた。
        5月半ばに神奈川に帰り、残っていたTask(引越しの物件探し、mission code : OZEの会議)をこなし、往復の格安航空券とゲストハウスの予約を取り、海外用のmobile wifiルーターのレンタルをして、小さいバッグ二つで6月6日に羽田から台北の松山空港へ発った。様々な紆余曲折や想定外の出会いがあったのだが、私は非常に淡々として、行きの飛行機の中では毎週月曜の習慣であるフィードバックシートを書き、非常に冷静だった。

        松山空港に着くまでは、だ。

        つづく

        2011年5月25日水曜日

        透過する思考に目を背け

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        少し前の話だが、『マイレージ、マイライフ』という映画を見た。そこでのシーン、ジョージ・クルーニーと恋人の女性が船べりで交わした会話を久しぶりに思い出した。
        二人はお互い出張先のホテルで知り合った。お互いのことは全く知らん状態からのスタート。それで親密になり船べりのシーン。主人公のジョージが講演の際に使うバックパックの中身が空だというネタの話をしている時、ああ、知ってるのかとジョージ苦笑い。女性の返しがこんな感じだった。
        googleで調べたわ。大人の女のたしなみよ。
         のような。ちょっと驚いた。一夜限りの相手でも、本名とか知ってれば、簡単にリサーチ出来ちゃう。そのぐらい我々はログを残しまくっている。マジで??

        関連して、実は先程、自分のメールアドレスを使ってtwitterの友達検索をかけてみた。出る出る、びっくりするぐらい皆やってる。同時に、「これは悪趣味なことをしてしまった」と思った。それで、一人だけフォローかけてみた。しばらく会っていないから近況知りたいという用途半分、twitterなら良いかという考え半分。この、後者の意識がちょっと危ないと自分で思っている。要約すると、監視社会にびびっている。
        そうだ、私は、自分のログは様々なプラットフォームに分散して置いている、twitter,Facebook,Blogger,昔はmixiだってやってたし、すごく親しい人にはgoogle calenderの閲覧権限をばっちり与えている。ただ、知り合いが現実の方で親しくあればあるほど、見たくないのだ。これって異常なのかなぁと考える。

        確かに、会う頻度が少ない知り合いの近況を知るには、最適なツールであると思う。だけど、週1、週3、4回会う人間とwebで繋がればそれだけに話の種は減る。もう二番煎じ当然みたいになる。ちょっとびっくりする。
        昔の話だが、mixi日記には本音があった。赤裸々な心情告白があった。Facebookを使っている分には、そんなものはないが、繋がりが見える。
        そういうwebに、どこまで情報を乗っけるか管理するのが、玉置沙由里さんが『女。MGの日記』で提唱している「露出リテラシー」なのですが。

        なんだか話が見えなくなってきた。
        総合すると、「Webとリアル」を「ステージと裏方(どっちがどっちでも関係ないが)」とばっちりすみ分けている人なら問題ないのですが、そうではない人が現れた時に、自分は興味を抱けるのだろうか??という話ですかねぇ。親しくなればなるほど、ブラックボックスを持っていて欲しい訳です。

        「ログアウトしてくれねぇかな。それ」

        2011年5月23日月曜日

        『拝金』(堀江貴文)

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        最近、堀江貴文氏の出す本を何冊か読んでいる。もちろん、最近の実刑2年6ヶ月の報道を見た影響もあって、少し知りたくなったところもある。
        そもそも、私は堀江貴文さんとかひろゆきさんとか、勝間和代さんとか、ネット上で活躍している人々のログを辿ったことは全くない。たくさんの書籍を出されているので、流行っていることは知っていたが、私から読んでみようと思ったことや、twitterアカウントをフォローしようと思ったことはなかった。
        なんでだろう??と自分で思ったが、話は簡単。私が少し時代を過ぎた本から読み進めていくタイプで、最新の書籍には手を出さないタイプであるから、というわけです。
        典型的な吝嗇家ですね。
        それで、『拝金』の話です。
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        堀江 貴文
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        恥ずかしながら、この本を読むまで、「ライブドア事件」について多くの知識を持ってはいませんでした。当時確か高校あがったぐらいだったと思いますが、ライブドアが粉飾決算で取り調べ受けて云々、ふーん。位の知識でした。その当時も堀江さんに対して好意も嫌悪も感じていませんでした。なんのこっちゃら、ってな感じです。
        この、「なんのこっちゃら」という印象を持っていた世代のメタファーが優作のように自分は感じました。要するに、適当にバイトして、楽しみはゲーセン通い。年収200万ぐらいでまったり生活出来ちゃってる有象無象の若者像。
        いやぁ、毒があるなぁ。なぜかと言えば、これらの有象無象(自分含め)至るところにいますし、就職氷河期真っ只中の昨今、ものすごく増えている訳です。
        それで仮に、ですが(いや結構真面目な話として)この本のように、5年で大企業を作ってしまう若者が出てきたら、多分いや確実に、面白い世の中になるんじゃないでしょうか。


        ということで有象無象の一人として、日々精進することにいたします。
        有象無象の方々、ぜひ読め!

        2011年5月16日月曜日

        mission code : OZE-近況報告-(written by take0100)

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        近況報告です。5月9日、5月12日に相棒のvendicatore君と尾瀬旅行の話し合いを行い、山小屋の予約を取り付けました。
        8月30日に宿泊するのは、尾瀬沼東岸の長蔵小屋、31日は下田代十字路の燧小屋に泊まることになりました。とりあえずは山小屋の予約も取れたので、これ以降のmission code : OZEの記事は尾瀬旅行までの事前準備(バックパック購入やトレッキングブーツの手配等々)実際、尾瀬に着くまでにはどれぐらいの予算が必要なのかなどを書いていこうと考えてます。
         ちなみに、参考にしたガイドブックはこの2つ。
        尾瀬をあるく―花と自然の別天地 魅力の26コース (大人の遠足BOOK)

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        るるぶ尾瀬 (るるぶ情報版 関東 20)

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        私は前者の「尾瀬を歩く」しか見ていないので、るるぶ尾瀬の情報をvendicatore君が書いてくれることを期待しましょう。
        加えて、全く出来ていませんが、尾瀬旅行計画の旅のしおり(mission code : OZE project seat)を公開しますので、これから尾瀬に旅行したい方には参考になるかと思います。個人的に添付ファイルとして欲しい方はプロフィールページにアドレスを公開しておいたので、そちらをどうぞ。
        5月、6月は個人的にあわただしくなって、mission code:OZEの記録もあまりかけなくなるかとは思いますが、気長に見守っていただけると幸いです。
        では。

        take0100/薄情遊冶郎

        2011年5月5日木曜日

        『イシューから始めよ』(安宅和人)

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         久しぶりのビジネス書書評です。なんとなくお気づきかと思いますが、ブログのデザインを色々いじくりました。フォントもこっそりメイリオにしておきました。ちょっと見やすいでしょ。ということで書評の形式も変えました。
        それ!
        イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」
        安宅和人
        英治出版
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        新形式初のレビュー『イシューからはじめよ』です。最近ビジネス系の雑誌の中でもよく紹介されていたり、Amazonのレビューなどもされているようで、なにやら評価の高い本のようです。
        この本の中で最も重要とされる概念はずばり「イシュー」と「犬の道」だと私は思いました。いわく
        イシューの定義:「a)2つ以上の集団の間で決着の付いていない問題。b)根本に関わる、もしくは白黒はっきりしていない問題」(p25 図3)の両方の条件を満たすもの 
        そして、バリューのある仕事を「イシュー度」と「 解の質」の2つの軸で説明しています。いわく
        「イシュー度」:自分の置かれた局面でこの問題に答えを出す必要性の高さ
        「解の質」:そのイシューに対してどこまで明確に答えを出せているか
          この両方が高い仕事というのが、バリューのある仕事だと、筆者は説明しています。反対に、踏み込んではならない「犬の道」というのも説明していて、いわく
        「犬の道」:イシュー度の低い仕事を一心不乱に、大量にやってバリューのある仕事に行き着こうとするアプローチである。
          問題解決の際に、その問題の見極めをしっかりとやるべきだということですね。話としては仮説検証型の問題を解決する際の手本書となる本だと思います。もうちょっと先に進んで、問題を明確にした後、それを相手に見せる際に『プレゼンテーションzen』あるいは『スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン』を連読しながら資料を作るなどすると、より「バリューの高い仕事」に近づけるのではないでしょうか。

        よい本です。ビジネスパーソンだけじゃなく、学生が読んでもとてもためになる本だと思います。必読。


        2011年4月29日金曜日

        尾瀬ルート修正版(written by take0100)

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        8月の尾瀬旅行、ルートの微修正をしましたのでご報告します。

        • 2日目の山小屋チェックイン後のルートを変更
        下田代十字路→赤田代分岐→赤田代→平滑ノ滝→三条ノ滝分岐→三条ノ滝(約2時間)
        三条ノ滝→三条ノ滝分岐→平滑ノ滝→赤田代→赤田代分岐→下田代分岐(約1時間45分)

        3日目の燧ケ岳登山を考慮に入れ、2日目のコースを若干変更しました。2日目に関しては当日の疲労度も考え、臨機応変に対応して行こうと思います。

        take0100/薄情遊冶郎

        2011年4月21日木曜日

        ガチトレッカーへの道(written by take0100)

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        今朝方「XXXX THE FAKE STAR」パーカーが届いて目下金欠中のtake0100です。
        さて、今日は八王子市にあるwild-1に行って来ました。

        結論から言います。尾瀬に関する情報はほぼなしです。ただその代わり、他にいいところを見つけました。
        まず、混んでました。まあこんなことはよくあるし、ここはセルフ情報収集と行こうなどと、店内の物色やら登山雑誌の熟読なんかをしてました。バックパックの大体の値段は15000~30000ぐらい。実際、本格的なバックパックってどのくらいの大きさなんだろうなぁと思ってましたが、デカイ。
        一応山小屋泊登山なので30ℓ以上の品を物色していましたが、何しろデカイしこれだけでも結構重量があって、これを背負って三日歩き回るのはなぁ…。とここで早速ルート変更の不安が頭を過ぎる。(要相談)

        置いてあった代表的なブランドとしては、HAGROFSBlack diamond,などなど。形から入ってるようじゃいかん!!とは思いつつもやっぱり目移りしますね。いやいや。そうそう、こればっかりは黒系統の色は避けたほうが良いらしいです。目立つ色。そういえば青とか赤とかやたら目立つのばっかりあったのできっとそうなのでしょう。
        続いてトレッキングブーツを物色。これもまたいろいろありますが、なにやら型に違いがあるようで、防水性能とかいろいろ考えたらこれもまたちゃんと店で選ぶべきかなと思いましたね。価格15000~。

        一通り見てまわって、なんだか店も忙しそうだし、出直すかと思って店を出て、せっかく来たのだし近くのアウトレットモールにでも行こうかなと思ったところで突如、「あれ?あそこアウトドア専門店なかったか?」と思い出しました。案の定ありました。モンベル。アウトレットだからそこまで品揃えなかろうと高をくくっていたら、ばっちりでした。

        と、いう感じで今日はレポ終了。山小屋の予約だけしたらとっととバックパック買おうと思いました。わくわくするなぁ。

        take0100/薄情遊冶郎